More than a Wish

 その日、高梨和希は初めて高校をズル休みした。

 シングルマザーの母には、真面目な子だと昔から信用されている。学校を休むには「熱がある」という自己申告だけで十分だった。ところが、アンドロイドのユキの方はそう簡単にごまかせない。

「36度2分。平熱ですよ」

 ベッドに横になった和希の額に手を当てただけで、正確に体温を読み取る。

「病は気から、って言葉、知らねえの。人間は哀しいことがあると具合が悪くなるんだ」

 口答えをすると、和希の顔を正面から覗き込んでくる。真紅の虹彩の目。プラチナブロンドの髪。ほくろひとつない白い肌。人工的に作られた機械だとわかっていても、その美貌にいつも目を奪われてしまう。

 いや、和希にとっては、彼は機械ではない。少なくとも代替のきく類のものではない。

「哀しいんですか」

「当たり前だ」

 和希は枕に顔を伏せ、布団を頭からかぶった。

 ユキの契約がもうすぐ切れるという話を、帰宅した母から聞かされたのは昨夜のことだった。

「子育て支援策よ。十年間、片親の家に優先的にアンドロイドを派遣してくれるの。そうでもなければ、こんな優秀なアンドロイドをうちで使えるわけないじゃない」

 寝耳に水だった。

「契約が切れたら、ユキはどうなるの」

「初期化されて工場出荷状態に戻されて、次の契約先に派遣されます」

 ユキの淡々とした説明に、呆然とするしかなかった。

「…ずっといる、って言ったくせに」

 あれは、ユキが高梨家にやってきて間もない頃だった。小学校に上がったばかりの和希は熱を出して学校を休んだ。だが、母は仕事を休めない。いつものように朝食後慌ただしく出かけようとする母に、和希は珍しく駄々をこねたのだ。ひとりじゃいやだ、と。

「私がいますよ、和希」

 泣きじゃくる幼い和希を抱き寄せて、ユキはそう言った。

「ユキが?」

「そうです。ずっと和希のそばにいますよ。私ではダメですか?」

「…ううん。ユキがいるならいい」

 あの日からずっと、ユキは和希にとって特別な存在だ。

「ユキの、嘘つき」

 残された時間を一分でも一秒でも長くユキと過ごしたくて、ズル休みまでしたのに、いざ二人になると八つ当たりのような言葉ばかりが口をついて出る。

「和希には、もう私は必要ないでしょう」

 布団越しに、ユキの手が和希の背中をなでていく。

「成績優秀で、クラス委員で。先月の体育祭のリレーも、自己ベストをコンマ2秒更新する走りでしたね」

 優等生で何の心配も要りません、と、三者面談での教師のようなことを言う。和希は布団の中で唇を噛んだ。

「ユキがいないのに、優等生でいる意味なんてない」

 母の言うとおり、ユキは優秀なアンドロイドだった。

 本来、国際ビジネスにおける秘書業務を想定して設計されたモデルだという。地球上の主要言語を自在に操り、世界のニュースをリアルタイムでチェックする。そんな高スペックのアンドロイドに、和希は宿題を見てもらい、自転車の乗り方を習い、弁当を作ってもらった。

 ユキに認めてもらいたい一心で、何事も頑張ってきた。早くこの優秀なアンドロイドに見合う人間になりたいと願って。

 あと十年。せめて五年。成人していれば、アンドロイドの所有者申請ができるのに。

「それなのにユキは、俺のことは綺麗さっぱり忘れて、次の派遣先に行っちゃうんだ」

 こんな中途半端な自分を置いて。成人としてユキの所有者にもなれず、かといって子供のように泣きじゃくって引き止めることもできない。

「和希。私は、機械です」

 和希の背中から、ユキの手が離れていく。

「人間から言われた通りに働くだけです」

 和希はがばりと布団を跳ねのけた。

「でも、ユキはそれでいいのかよ」

 完璧に整った顔には、何の動揺も見られない。

「アンドロイドが自分から何かを願うことはありません。人間の要望に応え、人間に奉仕するのが使命です」

 その瞬間、和希の心の奥で、何かがくしゃりと潰れる音がした。

 どれほど頑張っても、ユキの方から自分を求めてくれることはないのだ。

「…じゃあ、奉仕してもらう」

「和希?」

 きょとんとするユキの目の前で、パジャマのボタンを外していく。

「着替えるんですか?」

 クローゼットの方に立っていこうとするユキの手首を掴んで、引き止めた。

「触って」

「え」

 掴んだ手首をぐっと引き寄せる。

「俺のこと、抱いて。イかせて。ユキなら、簡単にできんだろ」

 ユキのようなハイエンドのアンドロイドは、人間のベッドの相手も務めることができるという噂を耳にしたことがある。ユキが新たな雇用主からそのようなことを命じられるかもしれない、と想像しただけで、和希は呼吸が苦しくなる。

「…それが、和希の望みなら」

 紅い瞳が和希の身体に向けられる。視線が肌の上をスキャンするように移動していくにつれ、鼓動が速くなる。

「どこが、好きですか」

「言わないと、わかんない?」

「いえ。試せば、すぐにわかります」

 伸ばされた指が、首筋を伝い下りる。鎖骨の窪みを丹念に辿り、さらに下へと移動していく。

「んっ……」

 胸元まで滑り降りたところで、和希は思わず声を漏らした。

「ああ、乳首は感じるんですね」

「っ!」

 敏感なところをいきなり甘噛みされて、和希の腰が跳ねた。

「だめですよ、逃げたら気持ちよくできないでしょう」

「ユ、キ…」

 はだけたパジャマを背中側に肘のところまでたくし下ろされ、腕の自由を封じられてしまった。抵抗できなくなった和希の胸元を、ユキの舌先が思うさま嬲っていく。

「あ、ぁ……ん…っ」

「敏感ですね。もう、こんなに赤くなっている」

 そう言いながら、ユキは硬く充血した和希の胸の先端には触れず、すれすれのところに指先で円を描く。

「…あぁっ、やっ…そ、れ…」

「もどかしいですか?でも、焦らされるのも嫌いじゃないんですね」

「なん、で」

「ここも反応してますから」

「……!」

 見下ろして、和希はさっと頬を染めた。脚の間で萌(きざ)している欲望が、パジャマの上からでもはっきりわかる。

「和希は、夢精の経験はありますか」

「え」

「人間の夢には潜在的な願望が現れやすいそうですが」

 答えられずに顔を背けた。

 従順なはずのアンドロイドが豹変する。真紅の瞳に別人のように凶暴な光を宿して、欲しい、と訴えてくる。抵抗は荒々しく封じられ、そのまま乱暴に組み敷かれる。奪われ、犯され、泣くほどよがらされる。

 そんな夢で明け方に身体を火照らせたことが、幾度もあった。

 淫靡な妄想を振り払うように首を左右に振るが、和希の内心を見透かしたかのように、ユキは耳元でささやく。

「夢より、ずっと気持ちよくしてあげます」

 ユキの指が、パジャマのウエストから中へ滑り込んだと思うと、あっさりと下衣を剥ぎ取られた。

「や、んっ」

 皮膚の薄さを試すように、ユキの唇が内腿に吸い付く。

「そんな、とこ…やだ」

 つうっと、舌が腿を這い上がってくる。アンドロイドの舌がこんなに柔らかいなんて知らなかった。

「ひ、あぁっ」

 辿ってきた舌先が、薄い陰毛の生え際をなぞる。ぞくりとする。

「やだってば、やめろ…」

「嫌じゃないでしょう。見えてます、全部」

「…っ!」

 屹立をぴん、と指で弾かれて、和希は声にならない悲鳴を上げた。硬く張り詰めて震えているそれを、次の瞬間、先端から咥えられた。

「やあ…あ」

 唇で上下にしごかれる。舌がねっとりとそれを追い上げる。その都度、甘い疼きが脊髄を駆け上がり、和希の全身をわななかせる。

「こういう想像も、してたんですか?」

「なっ……」

 つぷり、と、後孔に指先が侵入してきた。

「はぅっ…ん…」

「もうこんなにほころばせて…よほど、快楽に素直に反応する身体なんですね」

 長い指が、和希の中で蛇のように蠢く。

「あっ、そこっ…」

「ここですか」

 ユキの指先がそこをつついた瞬間、和希の背中がびくんと大きく跳ねた。

「ああっ、それ……い、やぁっ」

「そんないやらしい声をどこで覚えたんですか」

「だって、そこ…ぐりぐりって、すんの…」

「イイんですね…こんな、ひくひくさせて」

「ん…っく…あ、ん」

 奥がきゅうっと反応してユキの指を締め付ける。だが、もっと強い刺激を求めて喘ぐ和希を弄ぶように、その指が突然引き抜かれた。

「あっ」

 その感触に、解放感よりも物足りなさを強く覚えてしまう。

「ゆ、きぃ…やだ…お願いだ、から」

 足の指がシーツを掴む。すっかり昂ぶらされた欲望が、体の奥で激しくのたうっている。

「どうしてほしいですか」

 一方、ユキの声は水を浴びせるかのように平静だ。

「和希のお願いなら、何でも聞きます」

 和希は唇を震わせて顔を伏せた。

(人間に奉仕するのが使命です)

 何でも言うことを聞いてくれる機械が欲しかったんじゃない。でも、制止してもなお貪るように和希を求めてくるユキなんて、夢の中にしかいない。

「…挿れろ」

 ユキはこくりと頷くと、和希の両膝をすくい上げ、大きく割り開く。

「い、あぁっ…」

 めりっ、と音を立てそうなほどの圧倒的な存在感で、ユキが和希の中に入ってきた。

 鉄杭を打ち込むように、狭いところを無理やり押し広げていく。抉られたその先に底なしの快感があるのを察知して、鳥肌が立った。

「あ、それ…動かすな、ぁ…!」

「大丈夫です、潤滑剤が自動分泌されてますから」

「ひ…ぁああっ」

 中の、先程ひどく感じた箇所を再び擦り立てられる。疼く熱で、下半身が融け崩れてしまいそうだ。

「あああんっ、そこ…い、いっ…」

「和希…何て、顔、するんですか…」

「はぁっ…あ…ユキの、せいだ」

 喘ぎ声の隙間から、抑えていた言葉がこぼれ出す。

「…どこにも、行かないでっ…」

 極上のルビーをはめ込んだような目が、和希をまっすぐ見下ろしている。その宝石が欲しいと、手を伸ばす。

「ユキが、好きだ…ずっと一緒にいたい」

 その瞬間、ユキの長い睫の先が震え、目の奥にさざ波のような揺らぎが走った。

「私は、いなくなったりしません」

 伸ばした手を取られ、指を絡められる。

「和希のそばにいます。この先もずっと」

 こんな優しい嘘を、このアンドロイドはいつ覚えたのだろうか。

「ユキの…嘘つき」

 真っ赤な瞳が、まるで一晩泣きじゃくった後のように潤んで見える。その顔を引き寄せ、唇を重ねた。

 和希が何よりもユキから欲しいものだけは、どれほど望んでも手に入らない。それでも、ユキが与えてくれるものならすべて、身体に刻み付けておきたい。

 教えてもらった逆上がりも、英語の発音も、おにぎりの握り方も。

 初めてのキスも。夢よりもはるかに深い快楽も。すべて。

「ユキ…ユキ…ぁ、そこ、もっと…もっと、激しく、してっ…」

「和希っ…」

「あ、俺、もう、いく…あ、ぁ、あああーーー!」

 白く弾けていく意識の中で、和希は密かに決意する。

 いつか必ずユキを取り戻しに行こう、と。

 成人したらすぐに申請をしよう。優秀なアンドロイドの所有者として認められるだけの実績を積んで、ユキを迎えに行こう。そのときユキが、和希のことを何一つ覚えていなかったとしても。

 そう、固く心に決めた。

 はずなのに。

「不具合?」

 高梨家を永遠に去ったはずのユキは、一週間で出戻ってきた。

「メモリーを消去して初期化しようとすると、エラーが出るんですって。そのまま強制終了させると生命維持プログラムに損傷が生じる恐れがあるから、リサイクルは無理って判断されたみたいよ」

 困惑したアンドロイド管理当局が特例を認め、ユキを高梨家に格安で払い下げてくれたので、優秀なアンドロイドを手放さなくてよくなった母は上機嫌だ。

「エラーって何だよ」

 二人になって改めて問い詰めると、ユキは澄ました顔で答える。

「和希に教わりました。病は気から」

「…ズル休みかよ」

 呆れ顔の和希を、ユキの両腕が抱きすくめる。

「いいえ、嘘をついたんです」

「嘘?」

「本当は、アンドロイドにも願いごとはあるんです。でもそれは、人間の望みと完全に一致しない限り、実現させられないんです」

 ユキの腕の中で、和希ははっと顔を上げた。

「ユキの、願いって?」

 紅色の瞳が微笑む。

「私は、ずっと和希のそばにいたい。ズルをしてでも、嘘をついてでも」

 和希は思わず目を閉じた。

 何より、欲しかったもの。

「それは、願いって言わない」

「何て言うんですか」

 和希を強く抱き寄せるユキの身体は、昔と変わらず、機械とは思えないほど温かい。

「約束、って言うんだ」

 目を閉じたまま、和希は小さく背伸びをする。何も命じる必要はなかった。言葉にできない答えのように、ユキの柔らかなキスが唇をそっと塞いだ。

 

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